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仏教の歴史

【中国仏教】の始まりと終わり|まとめ

        大富豪の仕事術(著者:マイケル・マスターソン)

 

 

 

一世紀半ば中国に伝えられた仏教は、中国の伝統的な思想の影響を受けて、独自の仏教を形成していった。そして仏典の翻訳や研究が盛んに行われ、国家の衰退、乱世にもてあそばれ、やがて、大陸に浸透する仏教に民衆がすがり、教えを伝えていく。

こし庵
チベット・朝鮮・日本では中国の仏教が母体となり、新たな歴史が広がったんだよ

 

中国仏教の始まり

 

後漢(永平六七年)頃、皇帝明帝の元に天竺てんじく(インド)から迦葉摩謄かしょうまとう竺法蘭じくほうらんという僧が、仏教を広めるためにやってきました。二人の僧はたくさんの経典やほとけの画像を白馬にのせて遠く天竺から到着したのです。
皇帝は二人のために経典の翻訳をするお寺(白馬寺)を建て四二章経しじゅうにしょうぎょうの翻訳をさせました。
伝説のような話ですが、仏像、経典、僧、寺院がここに全てそろい、中国仏教の始まりとなりました。

 

三国時代(二二〇~三一六年)

 

の時代中国はまさに乱世の時代、仏教の大流行とも言える、四十もの寺院が建てられていました。その中で権力者に惑わされず、仏教の修行に励む頭の良い、支謙しけん朱士行しゅしこうといった名僧も出てきていました。国外からは竺法護じくほうごといった名僧が住み、三六ケゕ国語に通じ訳経僧やっきょうそうとして『般若経』『法華経』などの経典を次々と訳したらしいです。人々は月支菩薩げっしぼさつとか敦煌菩薩とんこうぼさつとか呼んで尊敬していたそうです。

 

五胡十六国の時代

 

後趙王こうちょうおうが”後趙の国士”とあがめた仏図澄ぶっとちょうの一番弟子道安三七九年、前秦王の皇帝府堅ふけん長安にまねき、教化と仏典の研究、仏教を正しく伝えるしごとを任せました。
後に、府堅なきあと後涼国でとらわれの身であった鳩摩羅什くまらじゅうを四〇一年、後泰(こうしん)の皇帝姚興ようこうが長安にむかえられました。羅什は長安宮城の趙遙園しょうようえん西明閣さいみょうかくで数百人の僧と、仏典の翻訳に励んでいたそうです。

 

南北朝時代

 

北朝の北魏を建国した道武帝どうぶていは仏教を国家公認の宗教とし、平城にりっぱな仏寺を建立されたそうです。しだいに寺院数3万、僧侶2百万人とまで仏教徒が増えました。しかし第三代太武帝たいぶていの時代に仏教の弾圧が始まり数多くの沙門が殺され、寺院が焼かれたのでした。
第四代文成帝ぶんせいていの時代に弾圧も収まり復興が始まりました。五世紀半ば雲コウの石窟で北魏初代から五代までの、帝の尊容を刻んだ曇曜五屈どんようごくつが開かれ四九三年洛陽遷都らくようせんとまで石仏の造営が続けられました。しかしこれは、仏教教団と国家権力の癒着のあらわれで北魏王朝ほくぎおうちょうは次第に滅びていくのでした。

 

 

貞観十九年(六四五年)唐の都

 

玄奘三蔵げんじょうさんぞう 又の名を三蔵法師(四五歳)が帰ってきた。唐の国禁を破って天竺(インド)へ、お釈迦さまの真理を知るために、国禁を破り天竺への旅は、十七年の歳月でありました。

 

 

 

 

玄奘が天竺のマガダ国に到着したのは六三三年、出国してから六年後でした。そこのナーランダ仏教大学で五年間、経典の研究に専念し、普通であれば十年と掛かる唯識学ゆいしきがくを三年で理解し、各地の街で講演するまで実力をつけたそうです。実力を付けた玄奘は多数の経典や仏像をたずさえて、帰国の途に就いたのです。天竺から帰国後大般若経だいはんにゃきょう六百巻をはじめ七六部一三三五巻の翻訳を成し遂げたそうです。国禁を破った玄奘は皇帝に罪を問われる事はなく、翻訳の仕事をさせて頂いたそうです。

 

八〇五の都長安には、地よりやってくる商人、旅人、使節、留学生で国際色豊かな文化都市として栄えていました。祆教(ゾロアスター教)景教(ネストリウス派キリスト教)マニ教、仏教、道教と各種の宗教寺院が建てられていました。
密教も天竺へ行かずとも、すでに密教の根本経典である『大日経』善無畏ぜんむい『金剛頂経』金剛智こんごうち不空ふくが伝えていました。
空海もこの時代バラモン教の哲学、サンスクリット語、密教を学んでわずかな期間で密教の後継者と認められました。

九六〇を建国した太祖は仏教の復興に力を注ぎ経典を集大成した大蔵経だいぞうきょうの刊行など第二代皇帝は国立の翻訳機関である訳経院やっきょういんをもうけ、寺院も僧も安定した時代でありました。

その後、中国の仏教は独自の発展をとげ、民衆のなかにとけこみ、安定をみせましたが、代以降は活力を失い伝統は失われつつありました。

 

こし庵
中国から伝わった仏教が本物でよかったよかった
道元くんと空海くんの功績は大きね
シャカ

 

 

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