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仏教の歴史

【涅槃図】釈迦の教えと真理|2月15日


ガウタマ=シッダールタ(またはゴータマ=シッダッタ)はブッダの本名。一般に、釈迦(シャカ)または釈迦牟尼(シャカ族の聖者の意味、略して釈尊とも言う)没後、シャカの説法(当時のマガダ語で語)は弟子たちに口伝で継承されていたため、原始仏教教団では正しい説法を書物に書き写しシャカの教えや戒律を正しく伝えようとして、仏典結集をおこなったが、早い段階からその解釈において伝統を継承しようとする保守的な長老たち上座部と、革新的な一般僧侶に多い大衆(だいしゅ)とが対立する傾向にあった。原始仏教教団は、その教えを継承する過程で、多くの部派に分裂し、部派仏教がうまれた。

のちに小乗仏教と大乗仏教とに分かれ、旧来の部派仏教を小乗仏教と蔑称で呼んだ。大乗仏教は、仏像を造ることや、バラモン出身の僧ナーガールジュナの理論などと共に中国・朝鮮・日本に広がり、仏教の主流となりました。

 

こし庵
どうもネズミブロガーのこし庵です。お釈迦さまは、おさとりを開かれて、亡くなるまでの四十五年間、説法伝導の生涯を送られたんだよ。

涅槃とは迷いの煩悩のすっかり断ち尽くされた、何の悩みも何の惑(まど)いも、何の苦しみも無い、いかにも涼しいというか、静かな境界をいいます。

 

二月十五日、お釈迦さまが入滅(亡くなりになる事)されたご命日です。

涅槃会ねはんえは、古く仏教伝来当初からおこなわれて『日本書紀』には、蘇我馬子そがのうまこ敏達天皇ひだつてんのう(五八四)年に舎利出現による齋会を行い、翌年大野の丘でその舎利を収める塔の起工式を行った、と記されています。 つまりこの二月十五日に『涅槃会』が行われた可能性があると考えられています。 お釈迦さまのご命日である涅槃会の日には、全国各地の寺院でお釈迦さまの最期の様子を描いた「涅槃図」をかけて、そのご遺徳をしのぶ法要が行われます。

遺教経ゆいきょうぎょう  涅槃会では『遺教経』をお唱えします。この遺教経は、正式な名前は『仏垂般涅槃略説教誡経』ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょうといいます...「仏が般涅槃にのぞんで、略説した教誡の経」となります。 お釈迦さまの遺言の教えの経典ともいわれ、二月一日から十五日まで毎日涅槃図の前でお唱えするのです。

涅槃図  涅槃図はお釈迦さまが亡くなられた時の様子を描いたものですが、涅槃図の解説は諸説存在しており、本資料はその一部を解説したものです。

沙羅双樹の下に、静かに横たわるお釈迦さま。その周りには嘆き悲しむ多くの弟子たち。観音さまや帝釈天、力士、龍王、さらには多くの動物たち。

お釈迦さまの入滅に際して阿那律尊あなりつそんじゃから危篤の知らせを受けたお釈迦さまの生母、摩耶夫人は、お釈迦さまを助ける為に天上から薬を投げました(これが投薬の語源とされています)。ところが薬は沙羅双樹の木に引っ掛かってしまい、お釈迦さまのもとへは届きません。それを見たネズミが薬を取りに行こうと走りますが、ネコがそれを邪魔したために、薬がお釈迦さまのもとに届けることが叶いませんでした。 (ネコが涅槃図に書かれていないのは、このような逸話によるものです)

また、お釈迦さまのもとに危篤を知った動物たちが駆け寄りましたが、一番がネズミ、二番がウシ、三番がトラと、干支の順番になったとも言われています。

 

涅槃図に込められた祈りと願い

     

涅槃図の解説

阿那律尊者あなりつそんじゃ  摩耶夫人を先導している人が、阿那律尊者です。阿那律尊者は、お釈迦さまの十大弟子の一人として、語り継がれてきました。お釈迦さまの説法中に居眠りをしてしまったことを恥じて、絶対に寝ない、という誓いを立てます。結果、視力を失ってしまいますが、そのことがかえって智慧の目を開くきっかけとなりました。十大弟子にはそれぞれ異名が付されており、阿那律尊者「天眼第一」の異名をもっています。

 

摩耶夫人まやふじん  図の右上に描かれているのがお釈迦さまの生母、摩耶夫人です。摩耶夫人はお釈迦さまの生後7日目に亡くなったと伝えられています。 『方広大荘厳経』などの説によれば、摩耶夫人は六本の牙をもつ白象が胎内に入る夢をみてシッダールタを身ごもった。インドの古代神話『リグ・ヴェーダ』ではシッダールタは摩耶夫人の右脇から生まれたと作られています。

摩耶夫人は、今まさに涅槃に入ろうとしているお釈迦さまに長寿の薬を与え、もっと長く多くの人にその教えを説いてほしいとの願いからやって来たのです。

 

薬袋 お釈迦さまの枕元の木に描かれている赤い袋が、摩耶夫人がお釈迦さまのために投じた薬の入った袋です。「投薬」という言葉はこの故事が元になったとも言われています。この薬は摩耶夫人の願いもむなしく、お釈迦さまに届く前に木に引っかかってしまいました。 なお、この袋の背後に錫杖が描かれていることから、当時の僧侶が許されていた最低限の持ち物(三つのお袈裟と一つの器)を入れたものであるともいわれています。

 

阿難尊者あなんそんじゃ

お釈迦さまの側で悲しみのあまり卒倒している人物が十大弟子の一人、阿難尊者です。長くお釈迦さまの身近でそのお世話をした方で、最も多く教えを聞いた人物であることから「多聞第一」の異名をもちます。容姿端麗な人として模写されることが多く、涅槃図においていかに阿難尊者を美男子に描くかが、絵師の腕の見せ所でもあります。

 

純陀じゅんだ

集まって来ている人々の中で、唯一、供物を持っている人が純陀です。お釈迦さまはこの純陀から受けた食事が元で亡くなったと伝えられており、一説には、食材の中に入っていた茸による食中毒であったとされています。 容態が悪化するお釈迦さまを見た阿難尊者は、純陀の食事を受けるべきではなかった、と嘆きます。しかし、お釈迦さまは「私は純陀の食事によって寿命を迎えることができた。臨終の前に食事を捧げることは最も尊い行いなのだ」と諭しました。 この言葉には、純陀を思いやる慈しみの心と、死は厭うべきではないという仏教の教えが表現されています。

お釈迦さまに触れる老女

多くの人々の中で唯一お釈迦さまのお体に触れている人物がいます。お釈迦さまに乳粥を施したスジャータ、または、お釈迦さまの教えを聞こうと訪れたが時すでに遅く、悲しみに暮れる老女など、諸説存在します。鎌倉時代の構図の中には、お釈迦さまと阿難尊者、そしてこの人物だけが描かれている涅槃図もあり、重要なメッセージが込められた人物であることは確かなのですが、真相は謎に包まれています。

 

阿ぬ楼駄尊者あぬるだそんじゃ

倒れた阿難尊者を介抱しているのが十大弟子の一人、阿ぬ楼駄尊者は、阿那律尊者と同一人物です。多くの弟子たちが悲しみに暮れる中、阿那津尊者だけはお釈迦さまの入滅の意味をよく理解され、当惑する人々にその死を伝えました。お釈迦さまの葬儀を営んだ際の中心的存在であったとも伝えられています。 仏伝においては、お釈迦さまとその教えを聞く人々との間を繋ぐ重要な人物として描かれています。

「涅槃図」の上方で雲に乗った摩耶夫人を先導している阿那律尊者とは同一人物である。このように時間的に異なる二つの場面を一つの画の上に同時に描く手法を「異時同図法」という。

 

猫を探そう

涅槃図には、人間の他にも多くの動物や虫たちが描かれていますが、その中に猫はいません。これは、ねずみがお釈迦さまの使いとされていることに由来します。しかし、絵師が自分の飼い猫をそっと入れたり、依頼主が猫を入れてくれとお願いしたなどの理由によって、猫が描かれている涅槃図もあり、日本では数例ほど確認されています。 このような「遊び心」は嘆き悲しむ人々の中にも見受けられ、絵師や依頼主とおぼしき人物が描かれている場合もあります。これには、単なる「遊び心」というだけではなく、お釈迦さまの最期の場面に自分も立ち会いたいという願いも込められています。  

涅槃団子

涅槃会にちなんで、お寺では涅槃団子を作ってお供えします。団子はお米の粉を使い、赤、青、黄、紫、白(地・水・火・風・空を意味します)などに染めて丸めたり、金太郎飴のように棒状にしたものを切って作る「やしょうま」や「花草団子」「五色団子」「お釈迦団子しゃかだんごなど地域によって様々な形や呼び方があります。

 

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こし庵
沖縄の首里城では金色の龍と五色の雲が柱に書かれているけど、なにか関係しているのかな

 

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