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維摩経

大乗仏教から仏陀の精神を説く維摩経 【第九巻 入不二法門品 第十巻 香積仏品まとめ】

        大富豪の仕事術(著者:マイケル・マスターソン)

 

第六巻 不思議品第七巻 観衆生品  第八巻 仏道品

 

第九巻 入不二法門品

二つであるのに、二つと見ない不二の境地、仏の道に入るにどうしたらよいか。

維摩が菩薩たちに聞いた「菩薩たちよ、不二の法門に入るにはどのようにしたらよろしいか、おのおの説明願いたい。」

30人ほどの菩薩の中から法自在菩薩が答えました。「生と滅、発生すると消滅するこの二つは、元々生じもしなければ滅しもない。無生、不生という真理を求め自ら体得できたなら不二の法門に入ったことと思います。」

次に徳守菩薩が答えました。「自分という存在が無ければ、その所属するものも無い。だから、当然私のものという所属するものも無いのだ。空なるもの無なるもの。これを体得するのが絶対平等の境地に入るものと思います。」

次に徳頂菩薩が答えました。「汚れと清らかは相対立していますが、そこに、もし汚れの実証を見ても汚れの姿はないし、清らかさの本生を見ても、そこには清らかさの姿の相はありません。言わば二つとも認めることができないわけで、悟りの姿と同じです。こう体得することが不二の法門の境地かとおもいます。」

次に善宿菩薩が言いました。「心を動かす動(どう)と対称を求めてその形に執着する念(ねん)は二つではないのです。不動とは石か大木のような心とか考えてしまいますが、簡単に言えば、心は常に流動しているから動揺もないし、執着する念もおこらないのです。動にも念にも捉われないのが不二の法門に入ることです。」

弗沙菩薩がいった「善と不善は相対立していますが、もし善も不善も起こさないで平等真実の空の道理、無相際をよく知ってこれを悟ったときには、絶対平等の境地に入ることだと思います。」

獅子菩薩がいった「罪悪と福徳とは相対立していますが、もし罪悪そのものの本性をあきらかにするときは、福徳の本性と異なることがありませんので金剛のような真実の智慧によってこれら二つの異ならないことを悟って、束縛や解放されることもなければ、これは絶対平等の境地に入ることだと思います。」

那羅延菩薩が言いました。「世間と出世間、出家して俗生活を出ることは、うっかりすると現実を逃避する生活になる恐れがあります。一度家を出たなら、さらにそれを出ないと不二にはなれません。一か所に停滞しないで無住の生活ができることで不二の法門に入れるのです。」

こういうふうに30人からの菩薩がおのおの不二法門に入る道を説いて最後に文殊菩薩が言いました。

「あなた方は色々説明しましたが、あなた方の説き示したものは全て二つです。話すこともなく、説明することもなく、示すこともなく、知ることもない。全ての問答から離れる、これが入不二の法門です」

維摩さんの考えはどうでしょうか。「沈黙。。。。。。。。。」維摩は一黙で不二の法門を示した。

文殊菩薩は維摩を絶賛した。「素晴らしい、素晴らしい、これこそ菩薩たちが不二の法門に入ることであり、文字で表現することもない、言葉で説明することもない、これが不二法門だ。」維摩の一黙 雷の如し

その時、ここにいる5000人の菩薩たちは絶対平等の境地に入り、真理を悟った安らぎを得ることができたのです。

 

こし庵
維摩が一黙で示して結末を付けてしまいましたね。
維摩の沈黙は「仏陀の沈黙」ですか
シナモン庵

 

第六巻 第七巻 第八巻

 

第十巻 香積仏品

 

香積仏品は仏陀の食事がテーマになっております。仏陀の食事とは、比喩的な表現であって、実質は、食物と無償の行為、この国の仏は何を食べているのか、そして償いなき行為、報酬を求めない行為、それは八つの法に集約されその八つの法を身に着けたならば、菩薩はこの娑婆世界で死んだ後、浄らかな仏国土に生れることができると言っています。

天上高くはるか遠い仏国土に「衆香国」と呼ばれる世界があり香積(こうしゃく)という如来がいるそうです。

その国土を包む「香り」は、無量の世界の広まり、樹木からも最高に素晴らしい香りが漂っていた。またその世界には、あらゆる香りから成る楼閣、宮殿があり、菩薩たちが食事をとるとその食べ物の香りが世界に広まるのです。全ての人々は文字を用いて法を説かれるのではなく、妙なる「香り」によって戒律のなかですばらしい三昧を得られるように導かれると言う事でした。

維摩によって遣わされた化身の菩薩がこの仏土を訪問し「香食」を頂いて帰るとき、多くの天上の菩薩たちが娑婆世界を尋ねてみようと維摩の家へ下ってまいりました。そして仏国土の菩薩が維摩居士に尋ねたました。釈迦牟尼はどのように法を説いているのですか。

「娑婆世界の人々は非常に強情で、容易に導くことができないため、釈迦牟尼仏は厳しい言葉で法を説き、衆生の心を導いてきたのです。」菩薩たちは釈迦牟尼仏の偉大性にたいへん驚かれたそうです。

浄土に生まれる条件は八つの法があり、「自分はあらゆる人々に利益を与えよう、しかし、彼らからはなんの利益も期待しない」という布施の教えほか、忍耐、慈悲、喜などといった修行があります。

「あらゆる人々の苦しみを耐え忍び、苦悩を受け入れること。」

「あらゆる人々に損害を与えない。」

「全ての菩薩を尊敬し敬う心。」

「聞いたことがない経でも、また既に聞いたことがある経でも、疑ってはならない。」

「他の人がもてなされても嫉まず、自分が多くの人にもてなされても高慢にならないこと。」

「自分の過ちを正し、他人を責めないこと、」

「人々の放縦でないことを喜び、あらゆる人々の徳を全て受け入れること。」

これら八種の法をそなえた菩薩が娑婆世界を去って行くとき、無事に仏国土に行くのです。

維摩居士と文殊菩薩が大勢の中で法の話をすると、そこに集まっていた菩薩たちは無上の悟りを得ました。

 

第十一巻 菩薩行品

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